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JOURNAL

ジャーナル

DATA . 2024.7.14

プロフィール

Nakamura Hiroki

Nakamura Hiroki

18歳 夢を持てない青年、アルバイトをする

子供の頃から、やりたい事や夢がありませんでした。
正確に言うと夢を持っても意味がないと思い続けていたのです。

子供の頃から、ノストラダムスの大予言「1999年の夏に世界が終わる」を信じきっていました。
だから夢を見ることはせず、勉強もろくにしていなかったのです。

しかし1999年の夏は何事もなく、世界が終わると信じ切っていた僕は、
夢を持たないまま社会へ押し出されました。

高校卒業時は就職氷河期。
就職するのに非常に厳しい時代です。

とりあえず、音楽と犬が好きだったのでアルバイトとして
「CDの販売やレンタルをしているお店」と「ペットショップ」で兼業することにしました。


23歳 犬のセレクトショップを開く

その後、僕に転機が訪れます。

とある事情で会社の組織体制が変わると通達があり、
会社に残るか辞めるかの選択を迫られたのです。

僕は「販売員」としてのスキルしかなく、特別持っている資格もありません。
そんな自分を雇ってくれる会社があるのだろうか?そう疑問に思った僕は、
無いなら自分で働く環境を作ってしまえと「お店」を開くことにしたのです。

なぜか会社に残る選択はなく、今思えば無謀というか、
何も考えていなかったのだと思います。

たまたま、テレビで犬に1着1万円を超える洋服を着せている映像を見てピンときました。
これからはペット市場が伸びていくだろう……そう考えた僕は犬のセレクトショップに目をつけました。
もともと犬が好きだったのと、ペットショップで働いていた経験も活かせるのでピッタリです。

早速、ペット市場を研究したり、東京で開催された展示会に参加したりと、さまざまな情報を収集しました。
調べれば調べるほど間違いなくいけそうだと確信に変わっていったのです。


開店までの商品決めと店舗契約

取り扱う商品をリストアップして、メーカーや問屋さんと交渉をするのですが、当時の僕は23歳。
若くして起業することが珍しい時代で、まともに相手にしてくれる会社がほとんどありません。

それでも、50社以上にコンタクトをとり、やっとの思いで仕入れ先を確保。
自分の足で空いているテナント物件を巡り、めぼしい物件を管理している不動産屋さんにアプローチしました。

しかしここでも年齢がネックになります。問い合わせをして不動産屋に行っても、
露骨にめんどくさい顔をされ、相手にしてもらえなかったのです。

それでも諦めず、何社も不動産屋を周り、
自分の熱意を伝えながら何とか良さそうな物件を契約することができました。

商品と場所は揃った。
あとは店舗の準備をするのみです。

お金がなかった僕は内装を依頼することができず、
仕方なくホームセンターに資材を買いに行き、一人で準備を行いました。

他にも、看板を自分でデザインしたり、広告のデザインも自分で作成したり、
ホームページも「ホームページビルダー」というホームページ作成ソフトを使用して作りました。

今思えば、このとき全てをプロに依頼していたら、
僕はこうしてデザインに関わる仕事をしていなかったと思います。


開店初日からお金に悩む

オープンの日は今でも鮮明に覚えています。

それまで必死に準備をしてきたので、開店と共にものすごい数のお客様が
来店してくださるのだろうと思っていました。
だから、レジ袋も買い物かごも十分に用意していました。
営業中に釣り銭が無くならないように、たくさん準備して……

しかし、蓋を開けてみると自分が想像していた
10分の1にも満たないお客様しか来店されなかったのです。

このとき、僕は血の気が引きました。
お店のオープンに必要な費用が予想よりオーバーしていて、
運転資金がほとんど残っていなかったからです。
開店初日で爆発的に売れ、売上金額を運転資金に回そうと思っていたので、初日から危機に陥ってしまいました。

「認知が広がれば次第にお客様も増えてくるだろう」
そんな期待も外れ、オープン初日から客数は徐々に減っていったのです。

「もうやばいかも」と本気で思いました。

お金がなければお店を閉店しなければいけない。
でも万が一、開店初月でいきなり閉店となってしまったら僕の人生はここで終わります。

お金をなんとか用意しなければ。

そう思い、真っ先に思い浮かんだのが銀行です。
ネットで調べると借入をするにはなかなかハードルが高そう、
しかも初月から資金がショートしそうな人に誰がお金を貸してくれるでしょう。

そうなると、最後の切り札を使うしかありません。

それは「親」です。
申し訳なさ300%でお願いをして、なんとか少しばかりの資金を貸してもらえることになりました。
親は「大学に行かせると思えば安いわ」と快く貸してくれたのですが、本当に申し訳なく感謝感謝です。
こうして初月のピンチを何とか乗り切りました。


ネットショップで学ぶ、売れているお店「3つの共通点」

当時はまだホームページ自体持っているお店が少ない2005年ごろ。
インターネットで物を買う文化はまだ定着していません。
でも僕が生き残る道はここしかないと藁にもすがる想いでネットショップの開店を決意しました。

簡単なホームページしか作れなかった僕は、ネットショップを開設するための本を読み漁り、
参考になるようなショップを見つけては見様見真似で作りました。

どうにか開店することはできたのですが、ほとんど売上が経たず、しばらく閑古鳥状態。
でもここで諦めるわけにはいきません。
僕に残された道はコレしかないと思い、日々更新を続けていきました。

その結果、少しずつアクセスが増えてくるようになり、
売上も少しずつ増えてきたのです。

さらに参考サイトと自分のお店を比較して、何が違うのかを研究しました。
すると売れているお店には3つの共通点があることに気付きます。
それは「写真」と「キャッチコピー」と「人柄」。

購入した後の未来がイメージしやすい写真、引き寄せられるキャッチコピー、
そして運営している人の人柄が分かるサイトであることが重要だと気が付いたのです。

そこで僕は一眼レフカメラを購入し、写真を撮り始めました。
しかし、いくら撮影しても納得のいく写真を撮ることができません。
それから何千枚も写真を撮り続け、次第に良い写真を撮影するコツが見えてきました。

すると、撮影した写真をサイトに反映したことで、すぐに商品が売れました。おもしろい!
さらにA/Bテストを行い、キャッチコピーによっても売れ方が変わることもわかりました。

実におもしろい!僕は次第に夢中になり、睡眠時間を削りながら
ネットショップ運営に明け暮れていったのです。


楽天市場で学ぶ、ヒット商品を生み出す方程式

成果は着実に数字に表れ、1日20件近くの注文が入るようになってきました。
そこで次に僕が目をつけたのは、当時急速に市場を拡大していた楽天市場への出店です。

楽天市場に出店するためには多額の出店料がかかりました。
毎月の費用、売上に対するマージンなど経費が多くかかるので、
2ヶ月間しっかりと準備をして楽天市場店をオープン。

集客力抜群なモールなので、開店初日から注文が殺到すると思い込んでいました。
しかし、蓋を開けてみるとほとんど注文が入らない……

「やばい、やばい。」僕は久々に冷や汗をかきました。
そこでオープニングセールとして、当時人気だった商品を最安値で出店してみたのです。
するとすぐに注文が入ってきました。でも原価ギリギリで販売していたため、
楽天の出店料やマージンなどを差し引けば大赤字。

その時は赤字でもお店の存在を知ってもらえるのであれば、
広告費として捉えようと考えていたのです。(今思えば最悪な事をしていたと反省です……)

しかし、特定のお得な商品だけが売れるだけで、他の商品はほとんど動きません。
期待していたリピーターもほとんどつかず、結果的に大きな赤字になってしまったのです。

どこにでも売ってるような人気商品を揃えて、価格を下げてしまえば売れることは間違いない。
それは分かりましたが、それでは薄利多売の末、大赤字。

そこで考えたのは「自分でヒット商品を生み出し、価格競争から脱却すること」

犬にも、人の業界と同じようにアパレルブランドがあり、それらは原則、定価販売が決められています。
値下げ禁止商品であれば値崩れすることもないと踏んだのです。

とあるアパレルブランドのカタログで、最後の方に掲載されている犬用ベッドに目が止まりました。
それは小型、中型、大型用の3サイズ展開しているベッドで、
一番小さいサイズのベッドでも10,000円を超える価格です。

一般的には高いベッドですが、これは売れるかもと思い早速仕入れてみたのです。

写真撮影とキャッチコピーを練り、ページを作成。
犬は言葉をしゃべれないので、このベッドを欲しいと言うことはまずありません。
だから飼い主さんにしっかりと響くような写真とキャッチコピーである必要があります。

そこで、欲しいと思わせることができれば売れると踏んだ僕は
『お留守番が大好きになる、極上のふわふわベッド』というキャッチコピーをつけたのです。

犬は日中お留守番をしていることが多く、飼い主さんとしては一人にさせることは不安なこと。
その不安な気持ちを軽減させて、ベッドを買い与えることこそが愛情であると訴えました。

すると、そのベッドは飛ぶように売れ、楽天のランキングにも入り、
メーカーさんも生産がおいつかず数ヶ月待ちの状態になってしまったのです。
このときメーカーさんも首をひねっていました。

この経験から僕はヒット商品を生み出す方程式のようなものが見え始めました。

その方程式を使い他の商品でも同じように販売を行なうと、
1個3,000円のおもちゃが飛ぶように売れ、高いドッグフードもおもしろいように売れ始めたのです。
実におもしろい!僕はこの時に、初めて商売のおもしろさを知ったのです。


事業譲渡を決意 ネットショップにおけるデメリットに悩む

そんなこんなで一気に売上が上昇。

多いときには注文が1日50件以上入る日もありました。
午前中に受注対応と発注、午後に発送業務。
夜にはメルマガを送り、ショップのメンテナンスを行う日々をしばらく送り続けました。

しかし、売上が増えてくると不安が生まれてきます。

ネットショップはクレジットカード決済を利用する人が多いのですが、
クレジットカードでの売上は、売上確定後しばらくしないと入金がありません。

今、売上があっても入金になるのは約2ヶ月後になるのです。
仕入れをした商品の支払いは基本的に先になるので、現金化するまでに時間がかかってしまいます。

在庫も次第に膨れ上がり、当時最大で1,000万円程の在庫を保有していました。
これまで動かしたことがないような金額に、ビビり出します。

しかも出て行くお金ばかりで、手元に残るお金は僅か。
「このまま続けていってもよいのだろうか……不安だ……」そう思い始めてきたのです。

動かすお金の額が増えていけばいくほど、後戻りできない不安に押しつぶされそうになり、
僕はそのプレッシャーに耐えられなくなっていきます。

そんな時タイミングよく、事業譲渡の話が上がり、
僕は実店舗やネットショップを含め全て事業譲渡することにしたのです。

いろいろな意味で自分自身の未熟さを痛感した20代でした。


28歳 デザインを学ぶために就職をする

デザイン会社への就職を目指すものの、当時はデザイン会社が少なく、求人募集している会社はごくわずか。
さらに僕は、デザインの学校にも出ておらず、実務経験もないので非常に厳しい現実が待っていました。

そんなとき、「社長募集」と大きな文字で掲載された求人広告が目に飛び込んできました。
それを見た瞬間にビビッと直感が働き「こんな広告が作れる会社に入りたい」と思ったのです。

僕は瞬時に履歴書を書き始めたのですが、
単に履歴書と職務経歴書を送るだけでは不採用になることが目に見えていました。
そこで何か工夫をしなければと思い、自分の取扱説明書をポートフォリオとして作成したのです。

面接をしてから数日後、ホームページ制作担当として採用となり僕は嬉しくて飛び跳ねました。
ここから僕はデザイン業界に足を踏み入れることになったのです。

いざ会社に出勤するようになると、自分の仕事の出来なさに震えを覚えました。
それもそのはず、ホームページをきちんと作れる技術を持ち合わせていなかったからです。

危機感を持ち「ここでがんばらなければクビになる」と思った僕は、毎日勉強をし続けました。
しかし「独学には限界がある」と思った僕は、働き始めて半年で転職を決意。

ホームページ制作会社に転職し「アシスタント」として入社することになったのです。

働き始め早々、自分の能力のなさに改めて打ちのめされます。
悔しくて悔しくて、家に帰ってから毎日夜遅くまで、とにかく自分が良いと思ったサイトを模写して勉強をしていました。
少しづつサイトが作れるようになると、僕は少しだけ自信が持てるようになりました。

しかし、会社ではずっとアシスタント的存在だったので、
ゼロから作ることもできずもどかしい気持ちを抱えていたのです。


29歳 2度目の独立、アプリコットデザインの誕生

僕は、お店を運営していた自分のような人をサポートしたいと思い、この業界に入りました。
しかし、アシスタントとしての立場ではお客様のお役に立てない。
だから「独立しよう」と思ったのです。(今思えば本当に無茶苦茶な考え方ですよね、アシスタントの分際で)

お世話になった会社の社長には本当に申し訳なかったのですが、
良いと思ったら即行動する自分の感情を抑えることができませんでした。

最初の独立は店舗だったので、店舗設備や商品など多額の開業コストがかかりました。
しかし今回は「ホームページ制作会社」としての独立。
自分の体とパソコンひとつでできるので、自宅に仕事スペースを用意して2度目の独立がスタート。

しかし、コネもツテも無かった当時の僕に仕事はありません。
とりあえずDMを作り良さそうな会社やお店へ送付。
ところが待てど暮らせど、連絡が来ることはありませんでした。
経費はほとんどかからないとはいえ、自分自身の生活費は必要で、日に日にお金がなくなっていったのです。

仕事がなく3ヶ月が経過したところで僕は辞めることを決意しました。
「二度と独立なんてしない」と心に決めて。

次は、美容室を複数店舗展開している会社の本部で、
ホームページの担当者を募集している会社に目が止まりました。
お店を一人で経営していたことと、ホームページが作れるという
自分のスキルにマッチしていると思い、早速応募。すぐに採用が決まったのです。

最初はホームページの制作を主な仕事として働いていましたが、
次第にチラシ作りや動画制作と、幅を広げていきました。
自分が携わったことに対してダイレクトに反応が分かったので、やりがいを感じる仕事です。

さらに人事にも携わることになり、面接や入社手続きはもちろん、
現場とコミュニケーションをとる機会が増え、これらも楽しさを倍増させるものでした。

2年ほど勤務した頃、独立する美容師さんから「ホームページを作って欲しい」と相談されました。
僕は喜んでホームページを作成させていただいたのですが、
開店後に美容室へ伺うと、その美容師さんが目を輝かせて働いていたのです。

僕は、自分の夢を叶えようとする姿を見て羨ましい気持ちになっていました。


32歳 3度目の独立、アプリコットデザイン再始動へ

もう二度と独立はしない、そう誓ったはずでした。
このとき僕は32歳。これまで2回の独立と転職を繰り返していて、どう考えてもこれが最後の決断です。

もう失敗は許されない。
そう思った僕は、二度と逃げられないような状況に身を置こうと考え、
会社として独立することを決意しました。

当時ツテのあった税理士の先生に相談して会社設立の準備に入り、
そこから1ヶ月後くらいに無事、会社の登記が完了。

会社名は、毛色が豊富でオシャレな犬である、トイプードルをイメージしています。
トイプードルのアプリコットカラーは元気でやんちゃな性格。
株式会社アプリコットデザインのイメージとしてピッタリです。
アパートの一室、人件費も僕一人だけ、特に大きな経費はありませんが
個人事業とは違い会社は意外とお金がかかります。

設立後の銀行口座には残高150万円
1ヶ月が経過して売り上げは数万円。しかし様々な経費を差し引くと残高は100万円程に減ります。
一人会社とはいえ、社会保険にも加入していたので出ていくお金が意外とあるのです。

このとき、昔の悪夢が蘇りました。
「こんな状況が数ヶ月続いたらお金が尽きて人生が終わる……」
しかし、ネガティブなことばかり考えていても仕方がありません。
もう前に進むだけ、やれることをやるだけだ!とポジティブな思考に切り替えるしかありませんでした。

まずは下請けでも良いからお金になる仕事が欲しい!
そう思い、広告代理店へ営業に行ったり、メールで営業をしたり、
DMを作成して送ったりとできることは片っ端からやりました。

すると少しずつ反響が出始めたのですが、一つの疑問にぶち当たります。
「ホームページを制作して集客をサポートしようとしている自分が、
アナログな営業を行っているのはいかがなものか?」

気になって他の制作会社を調べてみました。
すると多くの制作会社の最終更新日が1年前と、自社のホームページを
きちんと更新していないことに気がついたのです。

「ホームページ制作会社たるもの、自社のホームページから集客できないでどうする?!」
そう思った僕は、それまで行っていたアナログ営業を辞めて、
ホームページの見やすさを求め変更を行なったり、情報を発信をしたりと自社のホームページに注力しました。

そうすることで、少しずつホームページ経由で問い合わせが入るようになってきたのですが、
問い合わせはあるものの受注に繋がりません。

その理由は「信頼性」が低いからです。
制作実績が数点しかなかった当時のホームページ、実績が少ない会社に誰が依頼するのでしょうか。
まずは制作実績を多く作る事が大事だということに気がついたのです。

しかし当時の僕は、自分が作るものにおいて自信が1mmもありませんでした。
デザインも相変わらず独学で手探り状態。プログラミングにおいても慣れていない。
「とりあえず安価でもいいから実績を作ろう」そう思い、
破格の価格でホームページを受注して実績を増やしていったのです。

幸いにも社員はいなかったので、僕が寝ずに無理して働けば何とかなります。
ひたすら安価で制作を続ける日々。制作を重ねると次第にクオリティが上がっていきました。

そして、順調に制作実績を増やし続け、
自社のホームページに反映すると受注につながることが増えたのです。


2年目、人を雇うことになる

2014年、会社設立後1年が経った頃、僕に転期が訪れます。
もともと僕は会社を大きくすることは考えておらず、人を採用することも考えていませんでした。
しかし、繋がりや諸事情があり、2人も雇い入れることになったのです。

もはやアパートの一室ではいけないだろうと思い事務所を探すことにしました。
インターネットで物件を探していると、安くておしゃれな物件があり、即座に申し込みました。

しかし、ここで壁にぶち当たります。物件の契約に審査があるというのです。
会社を設立して1年ほどの会社だったので、見事に審査に通りませんでした。
このとき、僕は社会的に信用が一切無いという現実に直面したのです。
仕方がなく個人名義で再審査してもらい、連帯保証人をつけるという条件付きでOKをいただきました。

無事に入居できると、急いで備品などの調達を行いました。
パソコンや机、棚を購入し、事務所として見栄えをよくするためにソファなども揃えました。
2人も増えるのでお金がものすごい勢いで無くなっていく!!!

銀行口座の残高がみるみるうちに減っていきます。
スタッフが出勤し、働いてもらうようになれば当然人件費も発生します。
今まではアパートだったのでそれほど気にならなかった家賃や光熱費もかかる……。
恐ろしいほどの恐怖心と共に2年目は3人でスタートすることになりました。


自転車操業から脱出したい!単価アップ大作戦

人を雇用する場合、会社としてきちんとした体制づくりが必要だと考えた僕は、
会社の理念やルールを作りました。

とにかく「人」を大切にすること。
給与もがんばったら、がんばった分だけきちんと還元したいし、誕生日にはケーキを買ってみんなでお祝いしたい。
フリードリンク・フリーお菓子棚を設けて楽しく働いてもらいたい。自分が働きたいと思える会社にしたい。
そう思いながらさまざまな制度を作りました。

そしてスタッフの入社日。今でもあのときのシーンは鮮明に覚えています。
初めての会社で初めての雇用、僕は誰よりも緊張していたのです。

「こんな小さな会社に入社してくれてありがとう。」心からそう思いました。

しかし、予想していた現実が訪れます。
会社のお財布事情がかなり厳しい……

低単価ながら安定した受注があったので、売上が立たないということはありません。
しかし、経費を払い、スタッフの給料を払ったらプラスマイナスゼロ。
当然、僕の給与は1円もありませんでした。

「一体何のために働いているのだろう……」日々そんなことを考えながら働いていました。

どんなにお財布事情が苦しくても、自分の給与がとれなくても、
人を大切にすると決めたので無理な残業はさせたくありません。
だから溢れかえった仕事は全部、夜な夜な自分で片付けていました。
給与ももらえない、休みもとれない、そんな日々が長い間続いたのです。

そんな忙しい日々ではありましたが、相変わらず自社のホームページを更新することは怠らず、
その甲斐あってか受注量も増えてきました。
しかし、相変わらずの低単価。作って納品、作って納品の日々です。

僕自身も疲れ切っていたので、クオリティ自体もなかなか上がらずにいました。
でも低単価を脱却しなければいつまで経っても自転車操業。
そこで単価アップ大作戦を考えたのです。

「価格で勝負したく無い。制作実績にも自信が無い。
制作実績ではなく他の部分で信頼を得る必要がある」
そう思った僕は、ふと自分の経歴に目をつけます。
幸い僕は普通の20代が経験できないようなことを経験していて、そのストーリーは波乱万丈。
これらを全面に出すことでお客さんに共感してもらい、あわよくば応援してもらおう、そう思いプロフィールページを作り込んだのです。

商品ではなく「人」を全面に押し出す作戦。
するとその作戦が当たり、単価を上げてもきちんと受注できるようになったのです。


会社として環境を整える

仕事は、どんどん受注できるようになってきました。すると人手が足りなくなります。
依然僕の給与はほとんど取れていない状況にもかかわらず、新たに採用することになりました。

この頃の僕は、自分の給与が取れるようになると人を雇い入れ、給与がとれなくなり、
また取れるようになると人を雇い入れという謎のループを繰り返していました。

そんなある日、ホームページを作りたいと問い合わせがあり、いつものように打ち合わせをしたときのこと。
その方は自社でテナントビルを持っていて「1階が空いているから来ない?」と誘われたのです。
ちょうど今の事務所が手狭になってきたところで、価格も安く駐車場も確保できそうだったので引っ越しを決めました。

相変わらず受注も順調に増え、事務所も大きくなったことで新たに2人入れることを決めます。
その中で、自分の給料も不安定ではありましたが次第にとれるようになってきました。

経理業務や労務も僕が行っていたのですが、
打ち合わせをして制作をして会社の仕事もしていた僕はさすがに手一杯になります。
そこで経理も雇うことになり、ついに会社らしくなってきました。


お金がない!会社維持のために必死になる社長

事務所の家賃も上がり、人も増え、毎月出ていく経費も上がってきました。
そこで僕はお金のことが心配になり、銀行に300万円の融資のお願いしたのです。
給与をもらっていなかった僕にとって、300万円は大金。
それでも有難いことに融資を受けることができて安心!と思ったのも束の間。

ある日、経理スタッフから「なかむらさん、お金がありません!」と言われたのです。
ついこの間300万円もの大金を借りたばかりで、半信半疑で通帳を見ました。
すると、確かにお金がない!会社が潰れる!その瞬間、僕は血の気が引いたのです。

それもそのはず、膨らんだ人件費、家賃も高くなり膨らんだ経費。
このままでは、スタッフが職を失ってしまうかもしれない。
そう思った僕はスイッチが入りました。

睡眠時間を削り、休むことなく働き続けました。
お金がないことをスタッフに察知されると不安にさせてしまうと思い、
スタッフの前では平然とした態度をとり、スタッフが帰ったら明け方まで仕事をする毎日。

この間の記憶はほとんどありません。もう、とにかくがむしゃらに働きました。
幸いにも少しずつ制作単価が上がっており、納品もスムーズに行ったためしばらくするとまとまったキャッシュが入ってきました。

そのおかげで潰れるスレスレのところで命拾いしたのです。
ピンチを乗り切った後、ふと疑問に思いました。
一体自分は何のためにがむしゃらに働いているのだろうか?
もっと言うと、何のために会社を維持しようとしているのか。

「人を大切にする会社」としてこれまでやってきたのに、スタッフには遅くまで過酷な労働をさせ、
給与も思うように上げられない、賞与も出せない。
「全然人を大切にできていない」僕は日々自問自答を繰り返し、自分を責め続けるようになりました。

「会社を辞めたい」「会社を辞めたい」「会社を辞めたい」と
毎日念仏のように唱えていたのです。


3年目、「経営者辞めた方がいいんじゃないですか?」と言われる

突然ですが、「会社生存率」という言葉をご存知でしょうか?
中小企業の会社は、平均して1年で約3割、3〜5年で4〜6割が廃業に追い込まれているそうです。

この数字が頭の中にあった僕は「会社を3年続けること」を目標にしていました。
なぜなら、3年経過すると徐々に認知され、お客さんの数も増えてくるのが3年という節目だと、
最初の起業で感じていたからです。

アプリコットデザインでも3年目に突入すると次第に変化が見え始めてきました。
もちろんお客様の数も増え出したのですが、それよりも僕の人生を変えるような出会いがあったのです。

たまたま知り合いの紹介で、デザイナーが入社することになりました。
そのデザイナーは僕よりも年上で、1人でめちゃくちゃ稼げる高い能力を持ち合わせた人です。

マーケティングの知識も豊富でプレゼン能力も高い、僕から見たら雲の上のような存在でした。
そのデザイナーはズバズバとはっきり物言う人で、入社後しばらくしてから言われた一言があります。

「経営者辞めた方がいいんじゃないですか?」

僕はこの一言に、何も言い返すことができませんでした。
なぜなら当時の僕は経営者として何もできておらず、
自分自身の未熟さゆえに会社が自転車操業体質になっていたからです。

「経営者が変わった方が会社や働いているスタッフのためなんじゃないか」
内心思っていたことを代わりに言われたような気がして「じゃあおまえがやれよ」と
イラッとしながら心の中で思うことしかできませんでした。

この悔しい経験から、僕のエンジンはフルスロットルになったのです。
もともと僕は会社を大きくしたいとか、売上をあげたいとかそういう気持ちが全くありませんでした。
でも負けず嫌いな僕は、いつかそのデザイナーを見返すために圧倒的に結果を出してやる!と思えてきたのです。

結局そのデザイナーは半年も経たないうちに辞めていきましたが、
この出会いが僕のターニングポイントの一つであることは間違いありません。
今でも本当に感謝しています。

その後、フルスロットルの僕は雇用を増やして売上をガンガン上げていき、
4年目を目前にした頃スタッフ数が10人を超えました。


松本事務所を立ち上げる

うちの会社は長野県長野市に本社があります。
そこから約70キロ離れたところに松本市があるのですが、
僕はもともと松本市でお店をしていたので働いている期間が長く縁のある場所です。

そこで、松本にも進出したいと考えていた頃、
経営者の同期から事務所を引っ越すからオフィスをシェアしないかとお誘いをいただきました。

それがうちの会社にとってはじめての別拠点となりました。
早速、僕は松本事務所で働いてくれるスタッフを探そうと、ハローワークや自社のホームページで告知。
応募者の中から厳選に厳選を重ね1人採用をすることにしたのです。

でも僕は経費のことよりも、そのスタッフが1人で寂しい思いをしないかが心配でした。
何かあってもすぐに駆けつけられるような距離でもないですし、
本社のほうに多くスタッフがいるので孤立しないかも心配です。

でも、そのスタッフの子はとても性格がよく、人当たりの良い人だったので少し安心をしていたのですが、
もしかしたらそのスタッフでなければ松本の事務所はすぐに閉鎖をしていたのかもしれません。

また、事務所を開いたはいいものの集客しないと仕事はありません。
なので本社のホームページとは別に、松本版のホームページや様々な販促物を作って集客活動を行っていきました。
場所が変わるとお客さんの属性も少し変わります。
なので、思うように集客ができない日々がしばらく続きました。
そして自分たちができることをやっていくと問い合わせが少しずつ増えてきたのです。

そのタイミングで、スタッフを1人増やすことにしました。
僕の中ではこの2人のスタッフが会社にとってキーパーソンだと感じています。
今でも大活躍をしているスタッフなのですが、
この2人がいたからこそ松本事務所はきちんと運営ができているのだと思います。


インターネットってすごいんだぜ

ある日、誰もが知るような某大手企業さんからお問合せをいただきました。
そのとき、間違いなんじゃないかと自分の目を疑うほどです。

まさかこんな大きな企業さんが、うちみたいな会社に声をかけてくれるなんて!
そう思うと、改めてインターネットの凄さを実感したのと同時に、
可能性がめちゃくちゃあることを再認識したのです。

他のお客さんと同じように、その時にできる僕らのすべてを注ぎ込んでお仕事をさせていただいたのですが、
出来上がったものを制作実績に掲載したところ、かなり反響があり一段と問い合わせが増えてきました。

すると調子に乗った僕は長野市の事務所を10倍広い敷地へ移転することに決めました。
そこから会社の波は大きく変わり始め、某大手企業さんの実績があることで
会社としての株も少し上がり、問い合わせも増えてきました。


5年目 スタッフが一気に辞め、お金も底を尽きる

会社が5年目に突入した頃、スタッフ数も13人となり、売上も1億を目前としていました。
しかし、ここで大変な事態が起こります。スタッフが次々と退職をしてしまったのです。

原因は無理に会社を成長させてしまったツケです。
仕事量が増え、スタッフみんな残業しないと仕事が回らない。
僕自身もめちゃくちゃ忙しくてサポートができず、コミュニケーションも十分にとれない毎日。

結果的にスタッフは疲弊し爆発してしまいました。
退職者を補充するために新たに人を採用しても数ヶ月で退職。
その繰り返しでさらにスタッフは疲弊してしまう、そんな負のループに陥ってしまったのです。

スタッフがいなくなり、作り手が不足すると受注しても納品ができず、売上が減少していきます。
会社のお金もみるみる少なくなっていきました。

僕はこの時「本当にもうダメかも」と思いました。
申し訳ないけど、これ以上は続けることができない。
スタッフが次々と辞めていったショックと、仕事が回らない大変さで頭はもうパニックです。

そんなとき、一件の求人応募がありました。
僕はなぜかその人に惹かれ、何を思ったのか採用することになったのです。

会社のお金も底をつきそうで、来月分の給与も払えるかどうかの瀬戸際。
それなのに、この採用については今でも不思議で仕方がありません。
結果的にこのスタッフの採用が、会社としてのターニングポイントになったのです。

その後、会社としてのクリエイティブ力が一気に上がり、
その実績が良いお客さんを呼ぶという好循環を招いていきます。
ここから会社の業績が一気に回復へと向かっていきました。


東京事務所を立ち上げる

実績は会社にとって大きな影響与え、東京からの問い合わせも増えてきました。
当時、問い合わせがあったお客様は東京であろうと会いに行っていました。
すると決まってお客様から「遠いところ来ていただきまして、本当にありがとうございます」と言っていただきます。

この言葉は僕にとって本当に嬉しいことなんですね。
お問い合わせをして下さったからこそ会いに行くのは当然で、お会いできることも嬉しいことなのですが、
同時にお客様に気を使わせてしまっていることに罪悪感を覚え、もどかしい気持ちが日に日に強くなっていきました。

それを解消するためには僕らが東京に事務所を出すしかありません。
僕はもともと都会に憧れていたわけでもなく、
ましてや東京に事務所を出すことなんて1ミリも考えていませんでした。

だけど、お客様に気を使わせてしまっている罪悪感が湧いてからは、
お客様のために東京の事務所を立ち上げることにしたのです。

最初の事務所はなんと青山。
デザイン会社はおしゃれな場所にあるべき!という安易な考え方ですが、
その甲斐あってか東京に限っては最初からものすごく順調でした。

・・・

一旦ここまででストーリーを終えたいと思います。
6年目からのお話はまた今度気が向いたら書きたいと思います。

最後に

会社を設立したのは2013年。
そこから紆余曲折ありましたが、従業員総勢33人、お問合せ年間600件以上、
作ったサイトの数1000以上。 ※2024年4月時点

これらは、営業して得た成果ではなく、ホームページを育て続けた結果の数字です。
そしてなにより、1人ではじめた会社に力を貸してくれたスタッフや周りの方のおかげでもあります。

これまで僕は、さまざまな経験の中で「失敗する方法」を学んできました。

いくつもの失敗を繰り返してきたからこそ言えるのは「しなくていい失敗」を回避して、
本質に目を向けることで、向かうべき方向が見えてくるということです。
だからこそ、現実的な方法で確実に成果を伸ばすことができたのだと思います。

経営は大変で、孤独です。
そんな想いも共有しながら、次の戦略を一緒に考えていきたいと思っています。

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