会社のビジョンは、誰のためのものなんだろうか?
written by 中村 弘樹
ビジョンの相談を受けるとき、僕はいつも少し慎重になります。なぜかというと、立派な言葉になっているのに、社員に届いていないビジョンを、これまで何度も見てきたからです。
数字目標は、ビジョンになりきらない
「10年後、年商◯億円」「地域ナンバーワン」「業界トップクラス」。こうした目標は、経営の指標としてはとても重要です。経営者として、数字で語れる未来を持つことは欠かせません。
ただ、それが社員にとって「意味のある未来」になっているかというと、また別の話です。会社のゴールと、自分の人生が、どこで重なるのか。ここがつながっていないと、数字はどうしても「他人ごと」になってしまいます。
「だから自分はどうなるんだろう?」が残る
ビジョンを社員に伝えたあと、現場でいちばん起きやすいのが、「言っていることはわかった。でも、だから自分はどうなるんだろう?」という静かな問いです。
言葉になっていなくても、表情や日々の動きににじみ出てきます。これを放っておくと、せっかくのビジョンも「額に入って壁に掛かっているポスター」になってしまいます。
ビジョンは、判断の道具になっているか
僕が大事にしているのは、「ビジョンが日々の判断の道具になっているか」です。
たとえば新しい仕事を受けるかどうか、誰を採用するか、新しいサービスを始めるかどうか。こうした分岐点で、ビジョンを引き合いに出して決められるかが試されます。判断に使われていないビジョンは、まだ自分たちのものになりきっていない、ということだと思います。
「会社の未来」と「自分の未来」を重ねる
ビジョンを社員のものにしていくときに有効なのが、「会社の未来」と「自分の未来」を重ねる時間を、意図的につくることです。
「この会社が10年後にこうなっているとき、私はどうなっていたいだろう」。そんな問いを、研修や面談のなかでゆっくり扱ってあげるだけで、ビジョンへの距離はぐっと縮まります。
ビジョンは、書くより、ふだん使うもの
ビジョンは、立派に書ければ完成、というものではありません。日々の判断、面談、採用、商品開発のなかで、何度もくぐらせていって、ようやく組織の言葉になっていきます。
会社のビジョンは、誰のためのものか。経営者のためでも、株主のためでもなく、最終的には、ここで働く一人ひとりが「自分の未来」を重ねられるかどうか。僕はそう思いながら、ビジョンの言語化に立ち会っています。