善意を、請求書に変えないために
「これだけやってあげたのに」。この一言が組織の中で一度出ると、それまで積み上げてきたものが、まとめて別のものに変わります。今日は、善意が請求書に変わる瞬間について書きます。
もらったら返したくなる。ただし条件がある
心理学に「返報性の法則」というものがあります。人は何かをもらうと返したくなる、それだけの話です。マーケティングの本を読むと、たいてい出てきます。先に与えなさい、と。
ただ、やってみたけど返ってこない、という話もよく聞きます。
スーパーの試食を思い浮かべると分かりやすいと思います。ひとつもらって、おいしくて、なんとなく悪いなと思ってカゴに入れることがある。一方で、売り場の人が通路に立って目を合わせてきて、どうぞ、と言ってくると、食べたら絶対に何か言われる、と思って避けて通ることがある。
同じものを差し出しているのに、片方は買いたくなって、片方は逃げたくなる。違いは、見返りを期待されているかどうかです。
そして人は、そこをものすごく正確に見抜きます。言葉ではありません。距離、目線、渡したあとの間。渡してからこちらをじっと見ているかどうか。
狙って渡したものは、渡した瞬間に狙いのほうが伝わります。伝わると、もらった側は借りを作らされた気持ちになる。借りは、返したくなるものではなく、逃げたくなるものです。
組織の中では、これが日常的に起きている
ここまでは対外的な話に聞こえるかもしれませんが、僕は組織の中のほうが、これが濃く出ると思っています。
会社が人に渡しているものは、給与だけではありません。任せる範囲、学ぶ機会、休みの取りやすさ、失敗しても大丈夫だという空気。どれも渡しているものです。
そして、そのどれもが、見返りを期待して渡された瞬間に、意味が変わります。
研修に行かせるとき。任せてみるとき。有給を勧めるとき。そこに「だから応えてほしい」が乗っていると、受け取る側は正確にそれを感じ取ります。感じ取ると、それはもう機会ではなく、負債になる。
本人が口に出すことはまずありません。ただ、次に何かを勧められたときに、少し身構えるようになります。
「これだけやってあげたのに」が出た日に、全部が塗り替わる
いちばん決定的なのが、これです。
「これだけやってあげたのに」が一度でも出ると、それまで渡してきたものが、全部まとめて請求書に変わります。
渡した側は善意のつもりなんですよね。研修も、任せたことも、待ったことも、良かれと思ってやっていた。
でも受け取った側からすると、あれは前払いだったのか、という話になります。そして、それまでの何年かが、まとめて塗り替わる。過去にさかのぼって意味が変わってしまうところが、この一言のいちばん怖いところです。
退職の場面で出やすいのも、これだと思います。育ててきた側からすると、言いたくなる気持ちは分かります。ただ、その一言で失われるのは、その人との関係だけではありません。その場にいた他の人が、自分に渡されているものの意味も、同時に書き換えます。
ですから、渡したあとは忘れるのがいちばんいいんだと思います。覚えているのは、もらったほうでいい。
渡しすぎると、人は距離を置く
もうひとつ、意外と見落とされていることがあります。
渡しすぎると、逆に離れていきます。
そんなに親しくない方から、やたら高いお土産をもらったとします。うれしいことはうれしいのですが、同時に、これどうやって返そう、と思いますよね。返せる気がしない量をもらうと、人はその相手と距離を置きます。会うのが重たくなるので。
組織でも同じです。特定の一人に、期待も機会も投資も集中させると、本人は「これだけしてもらったからには」という状態になります。一見、意欲が高いように見えます。
ですが、それは断れない状態です。そして断れない状態は、選んでもらったことになりません。
断ろうと思えば断れる人が、それでも残ってくれた。そこにしか意味がないと思っています。軽く受け取れて、軽く断れる。そのくらいの渡し方のほうが、結果として長く続きます。
返ってくる先は、渡した相手とは限らない
それから、これは続けているとだんだん分かってくることですが、返ってくる先は、渡した相手とは限りません。
手をかけた相手からは何もなくて、まったく関係のないところから返ってくる。人材の紹介などは、たいていその形で来ますよね。育てた本人からではなく、その人が誰かに話した先から来る。
ですから、あの人にこれだけやったのに、という一件ずつの帳尻合わせをしないほうが、たぶん長く続きます。しかも時間が空きます。半年後、二年後、忘れたころに来る。
この数え方ができないと、育てること自体が続きません。一人ずつ収支を合わせようとすると、必ずどこかで割に合わなくなるので。
技として使わない、という選択
返報性には、もうひとつの使われ方があります。先に大きなお願いをして、断られてから小さいお願いをする。相手は譲ってもらったと感じて、それくらいなら、と受け取る。交渉術の本によく載っていますし、実際に効きます。
ですが僕は、これは使いません。
効いたとしても、相手はあとから「なんであれを受けたんだろう」と考えるからです。その気持ちは、次に会うときまで残ります。
一回きりの取引なら、それでいいのかもしれません。ですが、組織の中の相手とは、明日もあさっても顔を合わせます。一回通すために次を失うのは、割に合いません。
返報性の話は、たいてい「どう使うか」で語られます。ですが僕は、使わないでいられるかどうかという話だと思っています。
基準はひとつでいい
結局、渡すときの基準はひとつでいいと思っています。
返ってこなくてもいい範囲で渡す。
返ってこなかったときに腹が立たない量。がっかりしない量。それより多く渡さない。
そうすると、渡し方が勝手に変わります。見返りを見ていないので、相手にもそれが伝わる。伝わると、今度は本当に返ってきます。順番が逆なんですよね。返ってくるように渡すと返ってこなくて、返ってこなくていいと思って渡したときにだけ返ってくる。
そして、渡すものは待遇でなくて構いません。話を最後まで聞くこと。前に聞いた困りごとを覚えていて、次に会ったときに聞くこと。返事が早いこと。お金のかからないものほど、よく効きます。
人が育つ組織かどうかは、何を渡しているかよりも、渡したあとにそれを数えていないかどうかに出るのだと思います。