賃上げの前に入社の決め手を確かめる
応募が来ない。面接まで来ても決まらない。そうなったとき、経営者が最初に検討する打ち手は、たいてい月給の額です。二万円上げれば、近くの会社と並べたときに数字で負けなくなる。
ただ、月給の引き上げは、その一人のために決める話で終わりません。すでにいる人の給与にも影響しますし、一度上げた基本給は下げられない。採用がうまくいっていないという理由だけで、固定費の構造を先に動かすことになります。
その意思決定の手前に、費用のかからない確認がひとつあります。
辞めた理由と選んだ理由では並びが違う
公表されている調査をふたつ、並べてみます。
ひとつめは、人が会社を出ていくときの理由。転職サイトのdodaによる転職理由ランキングの2025年版で、対象は20代から50代の正社員978人です。首位は給与が低いの36.6%で、五年連続だそうです。二番目が労働時間に不満があるの26.3%、三番目が個人の成果で評価されないの22.8%。四番目に尊敬できる人がいないが入ります。
ふたつめは、人が次の会社に入るときの理由です。厚生労働省の転職者実態調査で、5,530人が三つまで選ぶ形。首位は仕事の内容で41.0%。二番目に自分の技能や能力が活かせるが36.0%で入ります。三番目が賃金以外の労働条件がよいの26.0%、四番目が転勤が少ない、通勤が便利の20.8%。賃金が高いからは五番目で15.1%です。
扱いに注意が要る点がふたつあります。ふたつめの調査は五年おきで、公表されている最新のものは令和二年、2020年の実施です。少し前の数字として扱ってください。そして、このふたつは設計も対象も別の調査なので、引き算はできません。給与を理由に辞めた人の割合から、給与を理由に選んだ人の割合を差し引くような比較は成り立たず、読み取れるのは、並びが違う、というところまでです。
出ていくときの首位は給与、入るときの首位は仕事の内容。この差が、求人票の状態を言い当てます。月給と休日と福利厚生の欄は、出ていく理由の上位二項目を受け止める場所です。休日や社会保険は、賃金以外の労働条件という選択肢とも重なります。手つかずなのは、入るときの上位二項目、仕事の内容と、技能が活きるかどうかの側です。
賃上げは、出ていく理由の首位に対する手当てにあたります。応募が来ないという状態に対しては、入るときの理由の側にも一度当たってみる価値があります。
すでに選ばれた理由は社内にある
その材料は、調査を買わなくても手に入ります。ここ三年で入社した人に、社長か採用の担当者が尋ねれば済みます。
ほかにも受けていた会社があった中で、うちに決めたのは何でしたか。
作例で考えます。社長と職人が六人の造園会社が、月給二十三万円から、週休二日、社会保険は完備、未経験歓迎、アットホームな職場です、という内容で募集を出しているとします。同業の三社も似た文面なら、読む側にできるのは月給の比較に限られます。
この会社が三人に決め手を聞いたところ、返ってきたのが次の三つだったとします。面接で見た庭の写真がどれも違う庭だったこと。一年目から担当の現場を持たせると言われたこと。剪定の資格を取る日に休みを使わずに済むと聞いたこと。給与の話はひとつも出てきません。仕事の内容、技能が活きるか、働くときの条件の三つに分かれます。
歯科医院の作例でも同じです。歯科衛生士の募集で、未経験・ブランク歓迎、土日休み、と並べていたとします。入った人の決め手として、ひとりの患者さんを最初から最後まで自分が見られると言われたから、が出てきた。求人票の一文目は、担当制です、予防のメンテナンスは最初に会った衛生士が最後まで見ます、に変わります。
この確認に、費用はかかりません。月給を二万円上げるかどうかの判断より、先に置ける作業です。
会社の規模で、選ばれる理由が違う
同じ調査には、事業所の規模別の数字もあります。規模や知名度を決め手に挙げた割合は、従業員五人から二十九人の事業所で4.6%、千人以上で18.0%でした。
逆向きの項目もあります。転勤が少ない、通勤が便利を挙げた人は、二百九十九人までの会社ならどの規模でも20%台、千人以上の会社では14.7%。小さい会社のほうが上に来ています。
成長を続ける企業です。人数の少ない会社が求人票にこの一文を置いても、そこを決め手にした人はほとんどいなかった、ということになります。知名度で勝負するのは、規模の小さい会社にとっていちばん分の悪い選び方です。持ち札は、仕事の中身と、通う距離の側にあります。
応募が減る書き方を選べるか
決め手の言葉に置き換えた求人票は、読む人をふるいにかけます。
たとえば、アットホームな職場です、をやめて、朝の道具の積み込みに社長も出ていることと、昼を全員で取っていることを、そのまま書いたとします。そこに魅力を感じる人からの応募は増え、昼を一人で過ごしたい人からの応募は来なくなります。
母数は減ります。採用の指標を応募件数に置いている会社では、この書き直しは後退した数字として上がってきます。ただ、合わない相手と面接する時間と、入社から数か月でやり直しになったときの費用を足せば、先に分かれているほうが安く済みます。どちらを指標に置くかは、経営の側で決める話です。
見るところを、応募の数から、面接の一言目に移します。求人票に書いた仕事の内容について質問が来るようになっていれば、届いています。給与と休日の確認だけで終わる面接が続くなら、書き直しはまだ途中です。
担当者が替わっても回るように
この作業は、採用の担当者の勘に置いておくと、その人が異動した時点で止まります。型にすると、次の五つです。
- 対象は、ここ三年で入社した人。質問はひとつに固定します。ほかにも受けていた会社があった中で、うちに決めたのは何でしたか。
- 返答は要約せず、本人の言い回しのまま記録する。要約した時点で、仕事の内容、技能が活きる、という調査の分類語に戻ってしまいます。
- 配布中の求人票と記録を突き合わせ、記録の言葉が本文に現れているかを確かめる。
- 現れていなければ、その言葉を一文に起こし、仕事の内容の先頭へ置く。
- 月給、休日、社会保険の三つは、削らずに先頭の下へ送る。
入社の決め手は、入った人が辞めるまでのあいだしか聞けません。聞いた言葉を書き出しておくと、次に人を採るときに、また使えます。