「なんか違う」で戻す上司の下では、人が育たない
同じAIを同じように渡しても、出てくるものの質は人によって大きく変わります。道具の使い方の差ではありません。差がついているのは、自分の判断を言葉にできるかどうかだと思っています。
そしてこれは、組織の中では育成の問題として現れます。道具の話ではなく、人の話になるということです。
プロは経験年数の長い人ではない
その道のプロほど、AIから良いものを引き出します。ただ、ここで言うプロは在籍の長さではありません。
上がってきたものを見て、なんか違う、と感じることは誰にでもあります。プロと呼ばれる人は、そこで終わりません。強調が多すぎて、どこを先に読めばいいのか分からない。伝えたい順番と、目に入る順番がずれている。原因の置き場所まで言えます。
文章でも同じです。なんか読みにくい、では止まりません。主語がずっと自社のままになっている。一文に用件が二つ入っている。読み手が自分の話として受け取れる書き方になっていない。そこまで届きます。
自分は何を実現したかったのか。なぜその形がいいと考えたのか。上がってきたものは、どこがそれとずれているのか。どう変えれば近づくのか。この四つを言える人が、道具にも人にも的確な指示を出せます。相手が機械か人かは、実はあまり関係がありません。
「なんか違う」は教えたことにならない
提出物が戻ってくるときのことを考えてみます。
なんか違う、もう少し良くして、しっくりこない。この言葉で戻された部下は、何を直せばいいのか分かりません。分からないまま、当てずっぽうで直すことになります。そして運よく通れば、なぜ通ったのかも分からないままです。
このやりとりが続く職場では、判断の基準は、上司の頭の中にしか存在しません。部下は、上司の反応を予測する技術だけがうまくなっていきます。それは育成ではなく、依存の再生産になってしまう気がします。
逆になぜ違うのかを毎回言葉にして返している上司がいると、その言葉は部下の中に基準として溜まっていきます。同じ指摘を三回聞けば、四回目は自分で気づけるようになる。フィードバックの言葉そのものが、教材になっている状態です。
研修を新しく足す話ではありません。日々すでに起きているやりとりで、使う言葉の粒度を上げるだけです。
評価するものが変わる
これまでは、つくれることが戦力の証明でした。ひととおり道具を扱える。ひとりで一本を仕上げられる。手が動く人から順に、任される仕事が増えていった。
その前提が動いています。つくる速さで差がつきにくくなると、評価の重心は、たぶんこちらへ寄ってきます。この仕事で何を達成するのかを、自分で決められるか。上がってきたものに合格を出せるか。その合否の理由を、相手に伝わる言葉で言えるか。次にどこをどう直すのかまで示せるか。
作業できる人より、判断できる人。育てる側が見る場所も、そちらへ移っていくのだと思います。
気をつけたいのは、判断力を「センス」や「経験」と呼んで、測れないものの箱に入れてしまうことです。箱に入れた瞬間に教えられなくなり、その人が辞めたら消えてしまいます。判断は、理由を言わせれば見えます。なぜこちらにしたのか。何を捨てたのか。それを口に出してもらう場が、一番安上がりな育成の場になります。
言葉にできる組織が道具を強く使える
AIが進むと専門性がいらなくなる、という見方があります。僕の実感は逆です。専門性がある人ほど、道具を強く使えます。
ざっくり頼んでも、そこそこの答えは返ってきます。問題はその先で、ひとつ上を狙った瞬間に、頼んだ側の知識が試されます。良し悪しのものさしを持っていない人には、返ってきたものを評価することすらできません。
だとすると、組織がやることは、そう複雑ではないと思います。社内で交わされている「なんか違う」を、ひとつずつ言葉に置き換えていくこと。それは人が育つ土台であると同時に、新しい道具を活かせるかどうかの分かれ目にもなります。