その人の力は、周りとの間にある
この人は主体性がない。この人は指示待ちだ。人事の面談や評価の場で、そういう言い方を、よく耳にします。
言っている側に悪気はありません。何年も見てきた実感なので、外れてもいないのだと思います。ただ、この言い方には、前提がひとつ入っています。その人の力は、その人の中に一定量あって、どこへ行っても持ち歩いている、という前提です。
ここを疑ってみると、育成の打ち手がかなり変わります。
同じ人が、隣を変えると別人になる
異動や担当替えのあとで、あの人がこんなに動く人だとは思わなかった、という声が出ることがあります。逆に、前のところでは中心にいた人が、移ったとたんに、ほとんど何も言わなくなってしまうこともあります。
本人は同じです。変わったのは、周りにいる人と、そこで許されている振る舞いのほうだと思います。
手を挙げる人が隣にいれば、自分も言ってみようかという気になります。決めるところを見せてくれる人がいれば、決め方を覚えます。反対に、意見を出すたび止められる場所では、だんだん黙るようになります。
これは意志の強さの差ではありません。人は関係の中で変わる、ということだと思っています。その人の力は、本人の内側だけで決まるものではありません。周りとのあいだに立ち上がります。
「性格」で書かれた評価は、次に使えない
ここを取り違えたまま評価を書くと、その記録は、次に使えなくなってしまいます。
消極的、受け身、当事者意識が薄い。こう書かれた一行は、その人にくっついたまま、次の人に引き継がれていきます。読んだ側は、最初からそういう人として接します。そして、そう接すれば、たいていそのとおりの振る舞いが出てきます。
本当に必要なのは、どんな場面でそう見えたのか、のほうです。誰といるときか。どういう議題のときか。人数は何人だったか。ここまで書いてあれば、配置で手が打てます。性格で書いてあると、本人が変わるのを待つしかありません。
育成の実務は、誰と組ませるかに寄る
人が育つ組織にしたい、というご相談をいただくと、研修やプログラムの組み立てから入りたくなります。もちろん、そこが必要な場面もあります。
ただ、先に変わるのは組み合わせのほうだと思っています。
よく質問をする人の隣に置く。決めるところまで見せられる人と、組ませてみる。会議の人数を減らして、何も言わないままでは終われない場をつくる。担当を持たせて、自分で決める回数を増やす。
どれも、制度を変えるような話ではありません。それでも、出てくるものが変わります。本人を変えようとするより、関係のほうを変えたほうが早い。そういう場面は多いと思います。
変わったことを、ぶれと呼ばない
もうひとつ、組織の中で起きやすいことがあります。
あの人は前と言っていることが違う、という指摘です。若いうちは慎重だった人が、任されてから、思い切って動くようになる。逆に、勢いだけだった人が、いくつか失敗を経て、慎重になっていく。
これを一貫性のなさとして扱うと、変わることに罰が付きます。すると、人は変わらないほうを選びます。育つとは変わることなので、これは育成の逆をやっていることになります。
経験すれば考え方は変わりますし、組む相手が変われば大事にしたいものも変わります。十年前と同じであることを、褒めるべき状態にしないほうがいいと思っています。
今週、手元でできること
直近の評価やメモを開いて、性格で書かれている行を探してみてください。
見つかったら、その横に一行だけ足します。それが出たのはどの場面か。誰といたか。人数は何人だったか。
そこまで書ければ、次の一手は配置の話になります。本人が変わるのを待つ状態から、こちらで動かせる状態に移れると思います。
人が育つ組織をつくるというのは、育つ素質のある人を見つけ出す作業ではないのだと思います。同じ人から違うものが出てくる場を、こちらで用意していく作業に近いです。