返事が返ってこない仕事は、育たない
若い人が育たない、という相談をいただくことがあります。話をうかがっていくと、本人の意欲の問題ではなく、やったことの結果が、その人に返っていないことのほうが多い気がしています。
自分のやったことが、どこへ行ったのか分からない
会社の仕事は、自分がやったことがどこへ行って、何につながったのか。それが分からないまま終わることが多いと思います。
資料を作った、会議に出た、依頼された作業を仕上げた。それがどこへ流れていって、何につながったのか。判断は上のほうで行われて、その結果は、本人のところまで戻ってきません。
これが続くと、人は「言われたことを、言われたとおりにやる」ところに落ち着きます。それがいちばん安全だからです。意欲がなくなったのではなく、意欲を向ける先が見えなくなっている、という状態だと思っています。
店の仕事は、そこがはっきりしていました
僕は高校を出て、店舗を経営する会社に入りました。
そこがどういう場所だったかというと、やったことに返事が返ってくる場所でした。
並べ方を変えてみる、声のかけ方を変えてみる。すると、その日のうちに数字が動きます。もちろん、動かないこともありますが、どちらにしても返事は返ってきます。やってみたことの答え合わせが、その日のうちにできるわけです。
あのころ商売が面白かった理由を、あとから言葉にすると、たぶんこれでした。自分の考えたことに、翌日には返事が来る。そこにはまっていきました。
意欲があったから続いたのではなくて、返事が来るから続いたのだと思っています。
育成の話を、返事の設計として考えてみる
そう考えると、人が育つ場をつくるというのは、その人のところへ返事が返ってくる回路を用意することに近いのだと思います。
やってみたことに、何かしらの反応が返ってくる。良くても悪くても返ってくる。その回数が多い人ほど、判断が速くなっていくのだと思います。
逆に、返事の返らない仕事だけを何年も担当していると、経験年数は増えても判断はあまり変わりません。試した回数が増えていないからです。
返事が返る仕事に変える、三つのやり方
大がかりな制度を作らなくても、できることはあると思っています。
ひとつめは、担当の範囲を、結果まで含めて渡すことです。資料を作るところまでではなく、それを使って話すところまで。作った本人が、相手の反応を直接見られる形にします。反応こそが返事なので、途中で誰かが受け取ってしまうと、本人には何も残りません。
ふたつめは、短い周期のものを混ぜることです。年単位の案件ばかりだと、返事が来るまでに一年かかります。数日で結果が見える仕事を、意識して一つ持たせます。うまくいったかどうかがすぐ分かる仕事は、それだけで練習の回数が増えます。
みっつめは、動かなかったことも返すことです。やってみて何も変わらなかった、という結果は、報告されないまま消えがちです。でも、変わらなかったというのも立派な返事です。ここを拾わないと、試した本人には「何も起きなかった」しか残りません。
上の側がやりがちなこと
気をつけたいのは、返事を評価に置き換えてしまうことです。
よくやったね、もう少しだったね。これは上の人の感想であって、仕事からの返事ではありません。感想を返し続けると、その人は上の人の顔色のほうを見るようになります。
返したいのは、何が起きたかのほうです。何件動いたのか。誰がどう言ったのか。前の月と比べてどうだったのか。事実が返れば、評価は本人が自分でできます。
いちばん確実なのは、自分で決めさせること
最後にもうひとつ。返事が返ってくる仕事にするいちばん確実な方法は、本人に決めさせることだと思っています。
他人が決めたことをやって結果が出ても、それは自分の答え合わせにはなりません。自分で選んだことの結果だから、次に活きます。
僕が会社勤めをやめて自分の店を始めたとき、いちばん変わったのはそこでした。全部自分で決めて、自分で動く。失敗すれば大きな痛手を負います。それでも、自分で選んで生きているという感覚が強かったのを、いまでも覚えています。
組織の中で、そこまで大きな裁量をいきなり渡すのは難しいと思います。それでも、範囲は小さくていいので、決めるところを本人に置く。そのうえで、結果をその人に返す。人が育つ場は、たぶんこの二つの組み合わせでできているのだと思います。